2008年11月01日
私の足跡 20 奈良の灯火会と焼岳
2007年8月24・25日
ツア-の夜行バスでK氏とM氏で焼岳へ
このツア-は昨年も行ったが私の体調管理の不行き届きの為断念し、M氏にも迷惑をかけたリベンジの山行です。
一日目
日程を有効に使えないかと考え、近くで行われている行事を探した。
(昨年は奈良の灯火会の写真撮影をして登山に向かった)
その結果、京都の念仏寺の写真撮影に行くことにした。
家を早く出、難波15時、念仏寺の写真撮影に行ったが、境内は狭いため三脚は使用禁止。
そのため、夜間の撮影は出来なかったので昨年の奈良の灯火会の写真を使用した。
京都の竹田駅で一時間待って、バスに乗る。今回の参加者は23名でゆったりしていた。
車内は前回に比べよく眠れた。
二日目
3時、平湯着。到着後なかなか眠れない。4時から出発の準備。
5時にバスは出発し、登山口へ。5時半、登山開始。天気はよいが涼しくまた森林の中なのでピッチが上がる。

森林限界が過ぎると急に目指す焼岳が目前に姿を現した。皆も歓声をあげる。
でも、森林限界を越え、日ざしの強い時間になってきたので辛くなる。また、急登が始まる。 途中、めずらしく娘から携帯に電話。感度良好。焼岳登山中と話すと娘もビックリ。
やっと頂上直下になり、振り向くと笠ヶ岳(2897m)が眼前にくっきり姿を見せた。 50年前とは山容は変わっていないが初めて泊まった山小屋はすっかり変わっているでしよう。
硫黄臭が鼻につく噴煙も眼前の噴気孔から音をたて噴出していた。
焼岳北峰頂上(2393m)着、9時半。残念ながら三角点のある南峰(2455m)へは立ち入り禁止。
天気は良く、180度視界抜群。先ほどの笠ヶ岳をはじめ西穂・前穂・奥穂・北穂の穂高岳連峰から槍ヶ岳までの素晴らしい姿が眼前にある。50年程前に槍・穂高を縦走した時の苦しさを思い出し感慨にふける。
写真にたくさんおさめた後、下山開始、10:00。コ-スは上高地への下山道をとる。
途中、中尾峠までは急な下り坂の連続で、それに火山独特の火山礫や火山砂でマイッタ。
振り返れば焼岳の頂上が見下ろしていた。
静かな佇まいの焼岳小屋で昼食。ホット一息。下山開始、11:00.しばらくしてまた急な坂道。
それに梯子や鎖の連続。
梓川の近くの焼岳登山口までくると道も緩やかになる。1時間足らずで人の賑わう上高地へ、13時過ぎ。
平湯へ15時過ぎ。温泉で汗を流し、水分補給を。
帰宅、20時半頃。
ツア-の夜行バスでK氏とM氏で焼岳へ
このツア-は昨年も行ったが私の体調管理の不行き届きの為断念し、M氏にも迷惑をかけたリベンジの山行です。
一日目
日程を有効に使えないかと考え、近くで行われている行事を探した。
(昨年は奈良の灯火会の写真撮影をして登山に向かった)

家を早く出、難波15時、念仏寺の写真撮影に行ったが、境内は狭いため三脚は使用禁止。


京都の竹田駅で一時間待って、バスに乗る。今回の参加者は23名でゆったりしていた。
車内は前回に比べよく眠れた。
二日目
3時、平湯着。到着後なかなか眠れない。4時から出発の準備。
5時にバスは出発し、登山口へ。5時半、登山開始。天気はよいが涼しくまた森林の中なのでピッチが上がる。


森林限界が過ぎると急に目指す焼岳が目前に姿を現した。皆も歓声をあげる。
でも、森林限界を越え、日ざしの強い時間になってきたので辛くなる。また、急登が始まる。 途中、めずらしく娘から携帯に電話。感度良好。焼岳登山中と話すと娘もビックリ。

やっと頂上直下になり、振り向くと笠ヶ岳(2897m)が眼前にくっきり姿を見せた。 50年前とは山容は変わっていないが初めて泊まった山小屋はすっかり変わっているでしよう。

硫黄臭が鼻につく噴煙も眼前の噴気孔から音をたて噴出していた。
焼岳北峰頂上(2393m)着、9時半。残念ながら三角点のある南峰(2455m)へは立ち入り禁止。

天気は良く、180度視界抜群。先ほどの笠ヶ岳をはじめ西穂・前穂・奥穂・北穂の穂高岳連峰から槍ヶ岳までの素晴らしい姿が眼前にある。50年程前に槍・穂高を縦走した時の苦しさを思い出し感慨にふける。

写真にたくさんおさめた後、下山開始、10:00。コ-スは上高地への下山道をとる。
途中、中尾峠までは急な下り坂の連続で、それに火山独特の火山礫や火山砂でマイッタ。

静かな佇まいの焼岳小屋で昼食。ホット一息。下山開始、11:00.しばらくしてまた急な坂道。

梓川の近くの焼岳登山口までくると道も緩やかになる。1時間足らずで人の賑わう上高地へ、13時過ぎ。
平湯へ15時過ぎ。温泉で汗を流し、水分補給を。
帰宅、20時半頃。