2008年03月10日
私の足跡 4 大杉谷 御嶽山 富士山 乗鞍岳 雪の立山 木曽駒ヶ岳
198?年8月?日
大台ケ原・大杉谷
一日目
職場の同僚F氏等6人と夏休みを利用して、大台ケ原から大杉谷へ。
一番の列車に乗り、日出ケ岳に登り、昼前に出発。最初は石楠花の多い道だった。最初の滝、堂倉の滝で休憩。その後の道は、下りが殆んどで、つり橋が多くなった。 殆んどのつり橋は人数制限をしていた。
私たちは、少人数だったし、平日だったので、自分達のグル-プ意外の待ち時間はなく、時間の浪費が少なかった。
しかし、その年の秋の祝日に多数の人が登山をし、つり橋で待ちきれずに人数制限を守らず橋を渡った。そのため、ロ-プが切れ、川に墜落という悲しい事故があった。 (規則通りに渡れば、時間を要し、後の人は明るい時間に目的地に到着できない。)
当時、マスコミは、管理している所が悪い、いや、規則を守らなかった者が悪いとの意見があった。わたしはどちらかと言えば登山者の方が悪いと思う。
ただし、規則を守らず、事故にあった登山者だけではありませんと付け加えておきます。
事故の事は、これくらいで、私達のその後は、長時間の下りで膝がガクガク。それに、谷間ばかりなので湿度が高く、疲労も多かった。
やっと、宿泊地の「桃の木小屋」に到着。
二日目
翌日、疲労もとれ、元気に出発。しかし、またもや下りの連続。
みんなの疲労度もたかまる。特に仲間の一人の悲痛な叫び声が今も思い出されます。
予定の時刻に歩き終え、乗り物に乗った時の仲間の表情もおだやかになっていた。
198?年8月?日
御嶽山
一日目
旅行の帰り、他の仲間に無理を言い、別行動をとり、F氏等4人で御嶽山に登った。木曽福島からバスに乗り、宿泊地に到着。
二日目
翌日、一番のバスで登山基地「田の原」へ。そして登山開始。途中、御嶽講の人たちの「・・・六根清浄、懺悔 懺悔・・・」の声に励まされ、快調にとばす。途中 雪渓もあり、楽しませてくれた。やっと頂上と思いきやそこは王滝頂上。それから、30分後、目的の御嶽頂上・剣ケ峰 3067m。
天気もよく、周辺のアルプスの山々もスッキリ。特に乗鞍岳の大きさに感激。さすが、3000mの山に酔いしれる。頂上直下の池へも行った。
帰りに、思い出に4人のケルンを作った。そして、近々結婚する二人の女性の幸せを祈った。
そして、素晴らしい景色に未練を残して、山を後にした。
翌年、御嶽山が火山爆発を起こした。私たちの作った思い出のケルンはどうなっているのか心配だ。
さて、ここで、あくまで偶然と思うが、不思議な話をしておきます。
それは、私がF氏と出かけた後に何かが起こるということです。上記の御嶽山の爆発の件、大杉谷のつり橋の件、それに登山ではなかったので、記していないが197?,年に二人で北海道旅行をした時、有珠山・昭和新山に登ったが、翌年爆発を起こした。
この時期に 同じような事が三度も起こったのは、偶然とはいえ、不思議だ。
198?年8月?日
富士山
一日目
神奈川での研修会の帰り、S氏等4人で富士山に登った。新5合目に車を置き、登山開始。翌日、楽に頂上にいけるよう8合目まで登り、宿泊。夜、沼津の町の灯がとても綺麗だった。一人が高山病にかかり、体調をくずした。
二日目
昨日、高山病で体調をくずしたのは、急に高度を上げたからだと反省。出発を遅らせ、ゆっくり登ったので、頂上でのご来光には、間に合わなかったが4人揃って頂上に立てた。その後、めでたいことに、登山した仲間で一組のカップルができた。私も仲人の第一号をさせてもらった。
私は富士山に二度登ることになったので、世間では馬鹿だといっているが・・・。
(富士山は二度も登る山ではない。富士山は眺める山だと言っている一部の人たちがいる。)
199?年8月?日
乗鞍岳
職員旅行の二日目。予定では、頂上直下 畳平で一時間半の予定をとっていた。以前、来たときは天気が悪く視界がきかなかった。今回は快晴。ガイドさんの話ではこんなに良い天気は一年に何回もないとの話。それで、幹事さんから時間を延長するとの事。それではということで一部の人と頂上へ。
頂上では、視界をさえぎるものは無く、アルプスの山々はくっきり。特に御嶽山が綺麗だった。
1993年5月3~5日
雪の立山・上高地
二日目
5月の連休を利用して、F氏と前日の夜行列車に乗り、早朝富山着。
美女平で時間を費やし、一番のバスで室堂へ。途中よりガスが出たり、消えたりしていた。途中、大谷で雪のトンネルを通って、室堂に着く。
空も晴れ、全身に雪を被った真っ白な立山(雄山)は素晴らしかった。
アイゼンを持って行かなかったので滑りながらも、みくりが池ま行ってきた。
後はバス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、列車で安曇野へ。レンタサイクルで、わさび園・道祖神を見て回った。松本の宿舎に着いたら7時を過ぎていた。
三日目
翌早朝、一番の電車・バスで上高地へ。道路には雪がなかったが、河童橋からの山全体が真っ白になった穂高の山々に感動した。
明神池までの木道を歩いていると、猿の群れが餌を探しに出てきていた。
焼岳も頂上付近は雪に覆われていたが、噴煙ははっきり見えた。
春の立山・上高地は素晴らしかった。帰りに、松本駅で平成5年5月5日の5・5・5を記した入場券を買って記念にしている。
1994年7月31~8月1日
木曽駒ケ岳
一日目
F氏と木曽駒ケ岳へ 以前、バス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、千畳敷まで来たことがあるが、今回は、千畳敷カ-ルを歩き、浄土乗り越えの小屋・宝剣山荘へ。
荷物を置いて、宝剣岳の頂上へ。 私は ○○ だから高い所が好きなので、後ろの岩の上に立とうとしたが、そこに祠があるのでやめた。
登りも下りも瓦礫の多い岩場を慎重に進む。
足場は確保されているが、ふと足元を見ると宝剣沢がスット落ちており注意が必要。
スリルのある岩場の多い男性的な山だった。
二日目
翌早朝、30分ほどの小高いピ-クに登り、ご来光。少し雲があったが、富士山を初め、乗鞍岳・北・中央・南アルプスが見え、最高だった。
朝食後、荷物を背負い中岳を越え、駒ケ岳の頂上へ。二つの社があった。
宝剣岳とは違い、女性的な山だった。
馬の背を通って,将棋頭山へ。
途中、新田次郎の作品「聖職の碑」で有名な遭難碑があった。
以前、彼のこの作品を読んでいたので、当時遭難した教師・生徒の苦しさ、また、それに関わった人達の悲しみが大変であっただろうと思い、遭難者のご冥福を祈った。しばらくすると、先生に引率された中学生の団体が登ってきた。
過ぎ去った列の後方より、全員無事に下山できるよう祈って見送った。
新田次郎の作品は 山を舞台にしたものが多いので、殆んどの作品を読んでいる。繰り返し読んだ本もたくさんある。今印象に残っている作品は、「強力伝」「富士山頂」「チンネの裁き」「芙蓉の人」「縦走路」「槍ヶ岳開山」「風雪の北鎌尾根」等々たくさんあるが、何といっても「孤高の人」は私にとっては、最高の作品である。ヒマラヤ征服の夢を秘め、日本アルプスの山々を疾風のごとく踏破した[単独行の加藤文太郎]の生涯を記した傑作小説。また、「聖職の碑」も同じ立場の者として、印象深い作品であり、事件であった。
彼の意思で作っているお墓がスイスアルプスのアイガー・メンヒ・ユングフラフの三山が真正面に見える所にあると聞いていたので、スイスに行った時、それを捜し求めて、食事時間を短縮して 走って行って 私も同じ位置に立ち、三山を眺めてきた。さすがに、絶景の所にあった。
大台ケ原・大杉谷
一日目
職場の同僚F氏等6人と夏休みを利用して、大台ケ原から大杉谷へ。
一番の列車に乗り、日出ケ岳に登り、昼前に出発。最初は石楠花の多い道だった。最初の滝、堂倉の滝で休憩。その後の道は、下りが殆んどで、つり橋が多くなった。 殆んどのつり橋は人数制限をしていた。
私たちは、少人数だったし、平日だったので、自分達のグル-プ意外の待ち時間はなく、時間の浪費が少なかった。
しかし、その年の秋の祝日に多数の人が登山をし、つり橋で待ちきれずに人数制限を守らず橋を渡った。そのため、ロ-プが切れ、川に墜落という悲しい事故があった。 (規則通りに渡れば、時間を要し、後の人は明るい時間に目的地に到着できない。)
当時、マスコミは、管理している所が悪い、いや、規則を守らなかった者が悪いとの意見があった。わたしはどちらかと言えば登山者の方が悪いと思う。
ただし、規則を守らず、事故にあった登山者だけではありませんと付け加えておきます。
事故の事は、これくらいで、私達のその後は、長時間の下りで膝がガクガク。それに、谷間ばかりなので湿度が高く、疲労も多かった。
やっと、宿泊地の「桃の木小屋」に到着。
二日目
翌日、疲労もとれ、元気に出発。しかし、またもや下りの連続。
みんなの疲労度もたかまる。特に仲間の一人の悲痛な叫び声が今も思い出されます。
予定の時刻に歩き終え、乗り物に乗った時の仲間の表情もおだやかになっていた。
198?年8月?日
御嶽山
一日目
旅行の帰り、他の仲間に無理を言い、別行動をとり、F氏等4人で御嶽山に登った。木曽福島からバスに乗り、宿泊地に到着。
二日目
翌日、一番のバスで登山基地「田の原」へ。そして登山開始。途中、御嶽講の人たちの「・・・六根清浄、懺悔 懺悔・・・」の声に励まされ、快調にとばす。途中 雪渓もあり、楽しませてくれた。やっと頂上と思いきやそこは王滝頂上。それから、30分後、目的の御嶽頂上・剣ケ峰 3067m。
天気もよく、周辺のアルプスの山々もスッキリ。特に乗鞍岳の大きさに感激。さすが、3000mの山に酔いしれる。頂上直下の池へも行った。
帰りに、思い出に4人のケルンを作った。そして、近々結婚する二人の女性の幸せを祈った。
そして、素晴らしい景色に未練を残して、山を後にした。
翌年、御嶽山が火山爆発を起こした。私たちの作った思い出のケルンはどうなっているのか心配だ。
さて、ここで、あくまで偶然と思うが、不思議な話をしておきます。
それは、私がF氏と出かけた後に何かが起こるということです。上記の御嶽山の爆発の件、大杉谷のつり橋の件、それに登山ではなかったので、記していないが197?,年に二人で北海道旅行をした時、有珠山・昭和新山に登ったが、翌年爆発を起こした。
この時期に 同じような事が三度も起こったのは、偶然とはいえ、不思議だ。
198?年8月?日
富士山
一日目
神奈川での研修会の帰り、S氏等4人で富士山に登った。新5合目に車を置き、登山開始。翌日、楽に頂上にいけるよう8合目まで登り、宿泊。夜、沼津の町の灯がとても綺麗だった。一人が高山病にかかり、体調をくずした。
二日目
昨日、高山病で体調をくずしたのは、急に高度を上げたからだと反省。出発を遅らせ、ゆっくり登ったので、頂上でのご来光には、間に合わなかったが4人揃って頂上に立てた。その後、めでたいことに、登山した仲間で一組のカップルができた。私も仲人の第一号をさせてもらった。
私は富士山に二度登ることになったので、世間では馬鹿だといっているが・・・。
(富士山は二度も登る山ではない。富士山は眺める山だと言っている一部の人たちがいる。)
199?年8月?日
乗鞍岳
職員旅行の二日目。予定では、頂上直下 畳平で一時間半の予定をとっていた。以前、来たときは天気が悪く視界がきかなかった。今回は快晴。ガイドさんの話ではこんなに良い天気は一年に何回もないとの話。それで、幹事さんから時間を延長するとの事。それではということで一部の人と頂上へ。
頂上では、視界をさえぎるものは無く、アルプスの山々はくっきり。特に御嶽山が綺麗だった。
1993年5月3~5日
雪の立山・上高地
二日目
5月の連休を利用して、F氏と前日の夜行列車に乗り、早朝富山着。
美女平で時間を費やし、一番のバスで室堂へ。途中よりガスが出たり、消えたりしていた。途中、大谷で雪のトンネルを通って、室堂に着く。
空も晴れ、全身に雪を被った真っ白な立山(雄山)は素晴らしかった。
アイゼンを持って行かなかったので滑りながらも、みくりが池ま行ってきた。
後はバス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、列車で安曇野へ。レンタサイクルで、わさび園・道祖神を見て回った。松本の宿舎に着いたら7時を過ぎていた。
三日目
翌早朝、一番の電車・バスで上高地へ。道路には雪がなかったが、河童橋からの山全体が真っ白になった穂高の山々に感動した。
明神池までの木道を歩いていると、猿の群れが餌を探しに出てきていた。
焼岳も頂上付近は雪に覆われていたが、噴煙ははっきり見えた。
春の立山・上高地は素晴らしかった。帰りに、松本駅で平成5年5月5日の5・5・5を記した入場券を買って記念にしている。
1994年7月31~8月1日
木曽駒ケ岳
一日目
F氏と木曽駒ケ岳へ 以前、バス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、千畳敷まで来たことがあるが、今回は、千畳敷カ-ルを歩き、浄土乗り越えの小屋・宝剣山荘へ。
荷物を置いて、宝剣岳の頂上へ。 私は ○○ だから高い所が好きなので、後ろの岩の上に立とうとしたが、そこに祠があるのでやめた。
登りも下りも瓦礫の多い岩場を慎重に進む。
足場は確保されているが、ふと足元を見ると宝剣沢がスット落ちており注意が必要。
スリルのある岩場の多い男性的な山だった。
二日目
翌早朝、30分ほどの小高いピ-クに登り、ご来光。少し雲があったが、富士山を初め、乗鞍岳・北・中央・南アルプスが見え、最高だった。
朝食後、荷物を背負い中岳を越え、駒ケ岳の頂上へ。二つの社があった。
宝剣岳とは違い、女性的な山だった。
馬の背を通って,将棋頭山へ。
途中、新田次郎の作品「聖職の碑」で有名な遭難碑があった。
以前、彼のこの作品を読んでいたので、当時遭難した教師・生徒の苦しさ、また、それに関わった人達の悲しみが大変であっただろうと思い、遭難者のご冥福を祈った。しばらくすると、先生に引率された中学生の団体が登ってきた。
過ぎ去った列の後方より、全員無事に下山できるよう祈って見送った。
新田次郎の作品は 山を舞台にしたものが多いので、殆んどの作品を読んでいる。繰り返し読んだ本もたくさんある。今印象に残っている作品は、「強力伝」「富士山頂」「チンネの裁き」「芙蓉の人」「縦走路」「槍ヶ岳開山」「風雪の北鎌尾根」等々たくさんあるが、何といっても「孤高の人」は私にとっては、最高の作品である。ヒマラヤ征服の夢を秘め、日本アルプスの山々を疾風のごとく踏破した[単独行の加藤文太郎]の生涯を記した傑作小説。また、「聖職の碑」も同じ立場の者として、印象深い作品であり、事件であった。
彼の意思で作っているお墓がスイスアルプスのアイガー・メンヒ・ユングフラフの三山が真正面に見える所にあると聞いていたので、スイスに行った時、それを捜し求めて、食事時間を短縮して 走って行って 私も同じ位置に立ち、三山を眺めてきた。さすがに、絶景の所にあった。