2008年03月20日

私の足跡 5 北八ヶ岳・南八ヶ岳・西穂高・白馬岳

 1994年10月2~3日

  Wと北八ケ岳の横岳と蓼科

 一日目

 早朝 家を出,茅野駅下車、バス等を乗り継いで坪庭へ。そして、横岳へ。
途中、1時間足らずの急登があったが難なく通過。今回の登山の目的は、もう一つある。それは、私の大好きなナナカマドの紅葉を撮影するためです。それを、求めて、七ツ池へも行ったが駄目だった。頂上への途中、道を修理してくれている人と言葉を交わし、頂上へ。明日,登る予定の蓼科山等を見て、小屋に行くと先ほど会った人が北横岳ヒユッテの主人だった。
img20080313_2.jpg
 シ-ズンが過ぎていたので、客は少なく、東京の夫婦、名古屋の夫婦と私たち夫婦の六人だけ。夜の食事はすき焼きだった。味付けは、関東風・名古屋風・関西風のお客さんでといわれたので、真ん中の名古屋の方にお願いした。
 主人はお酒が好きなのか、シ-ズンオフの普段は一人の生活でさびしいのか、私達を酒好きと見抜いたのか一升瓶を開けてくれたので、しばらくの間、お付き合いをしたが、明日のことを考え、寝た。


 二日目

 早朝、下山し、蓼科山へ。樹林帯を登って行くと、将軍平に着く。そこには、蓼科山荘がある。ここからは、道も一変し、山頂までは標高差170m。直線的につけられた岩塊の急登で、ペンキ印をたよりに両手・両足をフルに使い、這うようにして頂上へ。img20080313.jpg 
岩塊を敷き詰めた蓼科山の頂は平らで広く、そこに神社の祠と三角点があるのみで展望は抜群な所。蓼科山頂ヒュッテで買った冷えたジュ-スを片手にアルプスの槍ヶ岳や浅間山を眺めた。
 下山開始、途中までは両手・両足を使い下山。そして、宿舎へ。

 今回の登山の目的は、大好きな紅葉したナナカマドの撮影だったが、予想以下の出来で残念だった。
 三日目

 バスを使って、紅葉の始まった白樺湖・車山高原を通り、草紅葉の道を通り塩尻へ。そして、帰宅。 

  

1995年7月30~31

  A氏とK氏と西穂高へ

 一日目

 新穂高温泉より、ロ-プウェイを使い、途中より徒歩で、西穂山荘へ。
 nisiho2_r.jpg手近で、綺麗な山荘なので、客も多く、満員だつた。
 夜、満天の星空を眺めて、楽しんだ。

 二日目

 翌朝、天気もよく、高山植物を眺めながら、風が吹いていたが、元気よく、登山を開始。
 尾根歩きで、前半は道も険しくなく、左側に笠ケ岳を、右下に上高地を、後方には噴煙をあげている焼岳をそして前方には穂高連峰を見ながら快調にとばして行く。img20080317.jpg独標が見える頃には、少しぺースがダウンしたが、予定より早く独標へ。この頃より、風が強くなる。
 そこから、急にやせ尾根になったが、がんばり、ビラミットピ-クの頂上まできたが、そこまでで断念したのが残念だ。
 新穂高温泉で、バス待ちの間を利用して、市営の温泉風呂にはいり、夜行で帰宅。









 1996年7月28~29日 
 
 K氏D氏S氏M氏A氏と南八ケ岳

 一日目

 茅野駅からタクシーを利用しょうとしたが、途中で降ろされ予定より長い道のりを徒歩で行くことになった。初めてのメンバ-もいて、ゆったりとした計画だった。オーレン小屋を過ぎ、やっと夏沢峠へ。yatu56_r.jpg我々は、こまくさ荘で宿泊。客は我々6名とあと1名。収容300名で7名の客。ゆったりとした宿泊で食事も楽しく揃って「イタダキマ-ース」と戯れた。 水分補給(アルコールを飲む)をたっぷりと。そして消灯まで 談笑。  

二日目

 早朝、荷物を宿に預け、ヘットランプを頼りに出発する。でも、S氏だけ、荷物が大きい。当人は秘密と言って子細は言わない。頂上近くで、夜明け。うわさに聞いていた硫黄岳のすごい爆裂火口にびっくり。頂上では、ガスもなくなり、周辺の山も見え始め、めざす横岳・赤岳もバッチリ。
 yatu55_r.jpgしばらく歩くと、硫黄岳山荘に。小屋近くには、小屋の親父さんの世話で高山植物の女王・コマクサの群生があった。黒い砂礫に咲いているのが、印象的だ。いつまでも、残しておいて欲しいと願っている。
 しばらくすると、鎖・梯子のついたやせ尾根を何箇所を通過し、大同心あたりで、ラッキーにもブロッケン現象が見えたという幸運もあった。横岳頂上で、S氏が持って上がってきた秘密のメロンをいただく。山の頂上での味は最高。これで、S氏の荷物の大きかった訳が分かった。感謝・感謝。
 帰路、宿泊地のこまくさ荘で昼食。途中、夏沢鉱泉で入浴した。汗もとれ、最高の気分だった。そして、すっきりした気持ちで、夜行バスに乗り込み、帰阪。


 
1996年8月20日

 兄夫婦と私達4人で、稲村岳へ。
 好天に恵まれ、ゆったりと登れた。石楠花も咲いていた。
 帰路、梯子を使って大日岳へも登ってきた。
 この山へは、山仲間とも登り、3度目である。



1997年7月18~20日

 兄夫婦と私達で白馬岳から白馬大池へ。

 一日目

 JRで、白馬へ。バスで猿倉までと予定していたが、昨日の梅雨末期の豪雨でバスが途中より通行止めになっているという。(勿論、タクシーも駄目。) バスで行けるところまで行き、後は徒歩としたが、予定より3時間のロス。白馬尻小屋で宿泊することにした。 周辺には、キヌガサソウやシラネアオイなどの花が我々を迎えてくれていた。/大>

 二日目

  朝早く、小屋を発ち、大雪渓の末端に。アイゼンをつけ、登り始める。
 昨日までの天気とは考えられない好天気。空は真っ青。周辺の山もくっきり。曜日などの関係か客が意外に少なく(37年前にくらべ)、周辺の景色を眺めながら楽しく歩けた。(前回は、視界がきかなかったので、紅ガラに沿って、 もくもくと歩いたのを思い出す。)
 img20080314_2.jpg頭上を見れば真っ青の空、足元は延々と続く雪渓の雪、そして左右を見れば杓子岳からの杓子尾根等が迫ってきている最高の花道を通って白馬岳の頂上へ。
(但し、左右の尾根からの落石があり、事故にあうこともあるので紅ガラに沿って歩いた。)
 葱平に着き、小休止。小雪渓をトラバ-スするとお花畑だ。高山植物は最高の見ごろで、シナノキンバイ・ミヤマキンポウゲなどにいろぞられたお花畑をゆっくり歩き、カメラにたくさん収めた。特に女性達は、動かない。
 本日の行程は、ゆっくりしたものなので、女性たちを置いて、兄と先に村営小屋に着き、ビ-ルを飲みながら待つ。そして、4人揃ったので遅い昼食。
 食後、頂上小屋の白馬山荘へ。予想より空いていて、よかった。荷物を置き、頂上へ。天気がよかったので、360度の展望をゆっくり楽しんだ。
 新田次郎の作品「強力伝」に出てくる標示板があった。尿に血が混じる苦労をして、一人で担ぎ上げた物と思えば、何ともいえぬ思いがして、じっくりと撫ぜてみた。
その後、小屋に戻り、夕食。食後、外に出て、素晴らしい「日の入り」を楽しんだ。しばらくして、外に出て、星空の素晴らしさに感激。

三日目

 早朝、朝食を済ませ、荷物を持ち、小屋を出、頂上でご来光をと思い、頂上へ。そこには、すでに十数人がいた。東の空が明るくなり、ご来光。頂上にいた者はあまりの素晴らしさに歓声と万歳の声が上がったimg20080314.jpg
 余韻を残し、下山開始。三国境周辺には、コマクサが群生。













img20080314_1.jpg
 祠のある小蓮華山からもう一度白馬岳を眺めて下る。  しばらくすると、ブルーの白馬大池の傍に真っ赤な屋根の白馬大池山荘が見えて来た。池からは、大きな岩を乗り越え乗鞍岳へ登り返す。駄々広い頂上。栂池自然園も少し見ただけで栂池自然園駅にやっと到着。ロ-プウェイ・バスを小走りで乗り継ぎ白馬駅へ。そこから、予定の列車に乗り、帰宅。
 img20080314_3.jpg今回の山行きは、最初大雨の影響でどうなるか心配したが、天気がよくなり、特に、白馬山頂からの展望は最高で思い出に残る登山となった。



at 15:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)登山  日本アルプス 

2008年03月10日

私の足跡 4 大杉谷 御嶽山 富士山 乗鞍岳 雪の立山 木曽駒ヶ岳 

198?年8月?日

  大台ケ原・大杉谷

 一日目

 職場の同僚F氏等6人と夏休みを利用して、大台ケ原から大杉谷へ。
 一番の列車に乗り、日出ケ岳に登り、昼前に出発。taki_r.jpg最初は石楠花の多い道だった。最初の滝、堂倉の滝で休憩。その後の道は、下りが殆んどで、つり橋が多くなった。  殆んどのつり橋は人数制限をしていた。
 私たちは、少人数だったし、平日だったので、自分達のグル-プ意外の待ち時間はなく、時間の浪費が少なかった。
しかし、その年の秋の祝日に多数の人が登山をし、つり橋で待ちきれずに人数制限を守らず橋を渡った。そのため、ロ-プが切れ、川に墜落という悲しturibasi2_r.jpgい事故があった。 (規則通りに渡れば、時間を要し、後の人は明るい時間に目的地に到着できない。)

turibasi1_r.jpg









 当時、マスコミは、管理している所が悪い、いや、規則を守らなかった者が悪いとの意見があった。わたしはどちらかと言えば登山者の方が悪いと思う。
 ただし、規則を守らず、事故にあった登山者だけではありませんと付け加えておきます。


 事故の事は、これくらいで、私達のその後は、長時間の下りで膝がガクガク。それに、谷間ばかりなので湿度が高く、疲労も多かった。
 やっと、宿泊地の「桃の木小屋」に到着。




miti_r.jpg

 二日目

 翌日、疲労もとれ、元気に出発。しかし、またもや下りの連続
 みんなの疲労度もたかまる。特に仲間の一人の悲痛な叫び声が今も思い出されます。
 予定の時刻に歩き終え、乗り物に乗った時の仲間の表情もおだやかになっていた。





 198?年8月?日

   御嶽山
 
一日目

 旅行の帰り、他の仲間に無理を言い、別行動をとり、F氏等4人で御嶽山に登った。木曽福島からバスに乗り、宿泊地に到着。

 二日目

 翌日、一番のバスで登山基地「田の原」へ。そして登山開始。途中、御嶽講の人たちの「・・・六根清浄、懺悔 懺悔・・・」の声に励まされ、快調にとばす。途中 雪渓もあり、楽しませてくれた。やっと頂上と思いきやそこは王滝頂上。それから、30分後、目的の御嶽頂上・剣ケ峰 3067m。
 天気もよく、周辺のアルプスの山々もスッキリ。特に乗鞍岳の大きさに感激。さすが、3000mの山に酔いしれる。頂上直下の池へも行った。
 帰りに、思い出に4人のケルンを作った。そして、近々結婚する二人の女性の幸せを祈った。
 そして、素晴らしい景色に未練を残して、山を後にした。

 翌年、御嶽山が火山爆発を起こした。私たちの作った思い出のケルンはどうなっているのか心配だ。

 さて、ここで、あくまで偶然と思うが、不思議な話をしておきます。
 それは、私がF氏と出かけた後に何かが起こるということです。上記の御嶽山の爆発の件、大杉谷のつり橋の件、それに登山ではなかったので、記していないが197?,年に二人で北海道旅行をした時、有珠山・昭和新山に登ったが、翌年爆発を起こした。
 この時期に 同じような事が三度も起こったのは、偶然とはいえ、不思議だ。



 198?年8月?日

 富士山
 
 一日目

 神奈川での研修会の帰り、S氏等4人で富士山に登った。新5合目に車を置き、登山開始。翌日、楽に頂上にいけるよう8合目まで登り、宿泊。夜、沼津の町の灯がとても綺麗だった。一人が高山病にかかり、体調をくずした。

 二日目

 昨日、高山病で体調をくずしたのは、急に高度を上げたからだと反省。出発を遅らせ、ゆっくり登ったので、頂上でのご来光には、間に合わなかったが4人揃って頂上に立てた。その後、めでたいことに、登山した仲間で一組のカップルができた。私も仲人の第一号をさせてもらった。

 私は富士山に二度登ることになったので、世間では馬鹿だといっているが・・・。
(富士山は二度も登る山ではない。富士山は眺める山だと言っている一部の人たちがいる。)


199?年8月?日

  乗鞍岳

 職員旅行の二日目。予定では、頂上直下 畳平で一時間半の予定をとっていた。以前、来たときは天気が悪く視界がきかなかった。今回は快晴。ガイドさんの話ではこんなに良い天気は一年に何回もないとの話。それで、幹事さんから時間を延長するとの事。それではということで一部の人と頂上へ。
 頂上では、視界をさえぎるものは無く、アルプスの山々はくっきり。特に御嶽山が綺麗だった。



1993年5月3~5日 

  雪の立山・上高地

 二日目

 5月の連休を利用して、F氏と前日の夜行列車に乗り、早朝富山着。
 美女平で時間を費やし、一番のバスで室堂へ。途中よりガスが出たり、消えたりしていた。途中、大谷で雪のトンネルを通って、室堂に着く。img20080313.jpg      
tateyama2_r.jpg          













 
 空も晴れ、全身に雪を被った真っ白な立山(雄山)は素晴らしかった。

 アイゼンを持って行かなかったので滑りながらも、みくりが池ま行ってきた。
 後はバス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、列車で安曇野へ。レンタサイクルで、わさび園・道祖神を見て回った。松本の宿舎に着いたら7時を過ぎていた。
 



 
tateyama1_r.jpg



三日目

 翌早朝、一番の電車・バスで上高地へ。道路には雪がなかったが、河童橋からの山全体が真っ白になった穂高の山々に感動した。
 明神池までの木道を歩いていると、猿の群れが餌を探しに出てきていた。
 焼岳も頂上付近は雪に覆われていたが、噴煙ははっきり見えた。

 
 春の立山・上高地は素晴らしかった。帰りに、松本駅で平成5年5月5日の5・5・5を記した入場券を買って記念にしている。




 1994年7月31~8月1日

  木曽駒ケ岳

 一日目

F氏と木曽駒ケ岳へ 以前、バス・ロ-プウェイを乗り継ぎ、千畳敷まで来たことがあるが、今回は、千畳敷カ-ルを歩き、浄土乗り越えの小屋・宝剣山荘へ。img20080318.jpg
 荷物を置いて、宝剣岳の頂上へ。               私は ○○ だから高い所が好きなので、後ろの岩の上に立とうとしたが、そこに祠があるのでやめた。








hoken_r_1.jpg登りも下りも瓦礫の多い岩場を慎重に進む。
足場は確保されているが、ふと足元を見ると宝剣沢がスット落ちており注意が必要。

スリルのある岩場の多い男性的な山だった。



                                                                         
    二日目

 翌早朝、30分ほどの小高いピ-クに登り、ご来光。少し雲があったが、富士山を初め、乗鞍岳・北・中央・南アルプスが見え、最高だった。
 朝食後、荷物を背負い中岳を越え、駒ケ岳の頂上へ。二つの社があった。
宝剣岳とは違い、女性的な山だった。
 馬の背を通って,将棋頭山へ。
sonnan_r.jpg
 途中、新田次郎の作品「聖職の碑」で有名な遭難碑があった。
 以前、彼のこの作品を読んでいたので、当時遭難した教師・生徒の苦しさ、また、それに関わった人達の悲しみが大変であっただろうと思い、遭難者のご冥福を祈った。しばらくすると、先生に引率された中学生の団体が登ってきた。

 過ぎ去った列の後方より、全員無事に下山できるよう祈って見送った。

 新田次郎の作品は 山を舞台にしたものが多いので、殆んどの作品を読んでいる。繰り返し読んだ本もたくさんある。今印象に残っている作品は、「強力伝」「富士山頂」「チンネの裁き」「芙蓉の人」「縦走路」「槍ヶ岳開山」「風雪の北鎌尾根」等々たくさんあるが、何といっても「孤高の人」は私にとっては、最高の作品である。ヒマラヤ征服の夢を秘め、日本アルプスの山々を疾風のごとく踏破した[単独行の加藤文太郎]の生涯を記した傑作小説。また、「聖職の碑」も同じ立場の者として、印象深い作品であり、事件であった。

 彼の意思で作っているお墓がスイスアルプスのアイガー・メンヒ・ユングフラフの三山が真正面に見える所にあると聞いていたので、スイスに行った時、それを捜し求めて、食事時間を短縮して 走って行って 私も同じ位置に立ち、三山を眺めてきた。さすがに、絶景の所にあった。






 

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2008年02月28日

私の足跡 3 白馬・唐松 立山・剣 鷲羽・双六・槍・穂高

1960年7月27~28日

 Ma氏と白馬岳・唐松岳へ           
 
一日目
  
   職員旅行の帰路、松本で別行動をとらせてもらい、Ma氏と白馬岳をめざした。
 猿倉までバス、70円. 猿倉を11時13分に出発. 白馬尻小屋着、12時。
 昼食、カレ-ライス110円(休憩料込み)。出発、12時半。 10分ほどで雪渓、
 アイゼンをつける。槍・穂高より客が多い。近くの山も見えない。大雪渓も
 アイゼンをきかせば問題ない。抜け出たのは 14時。
 clip_image0011.jpg


  葱平の避難小屋で小休止。                 お花畑には、たくさんの高山植物が咲き乱れ、庭園のようである。
 ガスも消え、村営小屋に1時間以上も早く到着。
 夕食、17時半。 その後、グリセ-ド(ピッケルを使って雪の斜面を下る技術)の練習。

小屋は近代的だ。
 宿泊料 750円






 二日目

 4時起床。外を見れば雨。残念。ついていない。4時半、アノラックをつけ、頂上へ。5時前に到着したが、雨のため、すぐ小屋へ。朝食(ご飯はうまく炊けている。味噌汁も美味い。)をとり、6時半出発。雨がふっている。
杓子岳近くで7時半.鑓ヶ岳8時過ぎ、鑓温泉分岐で8時半。
 
天狗小屋あたりに雪渓があり、それを横切りのに苦労する。小屋着9時。

  clip_image003.jpg

   小屋近くに池があり、その周辺でキャンプが多い。
 付近の山が見え隠れする。
 休憩時,きゅうりをかじる。美味い。

 10時半ごろより天狗の大下りとなる。 
 さすが、名前の通り、道は悪くはないか゛、傾斜がきついので、相当 疲れる。
 11時過ぎ、最低鞍部に着く。これより、10分ほどで、最大の難所・不帰嶮に入る。針金の場所、鎖場、はしご場などがあり、槍・穂高の縦走を思い出す
 雨が降っているので、今回の方が疲れる。
 第二峰で昼食。第三峰 12時15分。 この頃より難所は少なくなる。第五峰までは、越後側を巻いた道でたいしたことはない。
 これより 大下りをした後、急登で相当疲れる。
 唐松岳頂上に13時45分。小屋は足元に見えたので、元気を出して頑張る。
14時着。



 来年は、鹿島槍まで縦走する予定なので今回は、黒部川に下りることにしている。
 でも、天気は悪いので、ここに泊まることにした。


 唐松岳小屋は近代的で、畳が敷いている。(今では、当たり前)
 水1リットルが50円もするので、15分ほど下った所の雪渓の所まで、水を
 汲みに行って来た。
 17時 夕食。カレーライス。宿泊費、750円


三日目

  5時に起床。5時半 朝食。味噌汁はあまり美味しくない。しかし、一つ一つの食器に名をいれ、綺麗だった。朝食は今回は白馬の方が美味かった。
 6時半、出発。雨は相変わらず降っている。半時間ほどで、アノラックから雨水が入ってきた。7時半、銅山跡らしい平らな所に出て小休止。

 宿泊用の米もなくなり、荷物も軽くなり、6時間ばかりの下りは、楽と思ったが、とんでもない急坂の道で膝がガクガク。山を巻いた道で、急な道になると膝の痛みがひどくなる。9時半、小休止。ジュースの粉末を水に溶かしてのジュースを飲む。美味い。
clip_image005.jpg
 膝の痛みがますますひどくなる。11時半の小休止で、雨も上がりそうなので水分で重くなったアノラック・オーバーズボン・セーター等を脱ぐと身体がすっきりした。 ズボン・セーターは汗と雨でびっしより。         
半時間後、祖母谷温泉にやっと到着。

 おにぎり2個、梅干2個の弁当。それに持参した「ふりかけ」をかけて、食べる。美味い。


clip_image004.jpg

 13時発。道も平坦になり、身体もすっきりしてきたので、当時、よく歌われた「北上夜曲」を口ずさみ始めると、名剣温泉。そこで、汗を流した後、
大きな雪渓を通ったり、見たりしながら、欅平へ。14時着。
 観光客も大勢いたので、山の感じが半減した。
 よく揺れるつり橋(現在は鉄筋の
橋になってい.)を渡ると駅だった。14時半

 トロッコ列車は、うわさの通り愉快な電車だ。屋根はあるが、窓はないので、風通しがよかつた。駅の停留所で写真を撮っていると発車をおくらせてくれたところもおもしろい。富山の人と同席。黒部の谷はすごく、ダム・発電所もあった。
 宇奈月着、15時40分。料金、210円。  富山着、17時。180円。
 夕食に定食を2人分を。140円。美味かった。
 その夜、19時57分発の青森発 大阪行きのドンコ列車で帰る。
 座席がなかったので、通路に新聞をしき寝て、朝まで熟睡。
 目が覚めたのは 京都駅だった。




   1960年8月10~13日
   
   Mo氏と立山・剣岳・大日岳へ。

   二日目
 夜行列車を富山でおり、電車・ケーブル・バス等を乗り継ぎ、弥陀ヶ原へ。
 (当時、ケーブルに乗るとき、荷物は重さにより異なる別料金。バスの終点も
midagahara_r.jpg今は室堂までだが、当時は弥陀ケ原まで。)
9時にバスを降り、重いリュックを背負い,今は賑やかだが、当時はさびしい室堂を通り,一の越で休憩し、雄山へ。
(室堂が 賑やかになったのは アルペンルートができてから)
 12時に頂上着。昼食後、神社でお神酒を頂き、大汝山 そして真砂岳へ。


  
 
 oyama_r.jpg





    弥陀ケ原のバス停 



                                                       頭上は雄山神社                                          

この頃より、天気は悪化。視界が利かなくなり、二人で標識(矢印等)を目を皿のようにして探し始めて歩くこと約1時間。ガスの中にぼんやり小屋の青い屋根。そして、やっと人の話し声。助かった。ホットして、剣御前小屋の中へ。17時到着。
turugi_r_r.jpg



  三日目

 翌早朝 6時 剣御前小屋を出発。お陰で、太陽も姿を見せている。荷物を持って、剣御前の頂上(7時) 一服剣・前剣(8時) そして、剣の頂上に9時半到着。難所の岩場は槍ヶ岳の穂先よりスゴイため、順番まちで予定より、時間がかかる。昨日、曇っていて見えなかった立山連峰・剣沢の雪渓もくっきり見えた。
 剣岳の標高は、2998mと言っていたので、何とか3000mの高さにと友達と肩車をして戯れた。途中、「カニの横ばい」・「カニの縦ばい」とかがあったが、難なく通過した。ただ、当時リュックと言えば、横長のキスリング型が主流でリュックの角が岩に当たりやすく、身体のバランスを崩し、ヒャットする人もいた。

先日、剣岳登山のテレビを見ていると、殆んどの人は荷物を小屋に預けてか
軽ザックで、又は水筒だけの人もいた。縦走中の荷物を全部を持って歩いている人はこのテレビの中にはいなかった。

 最近、登山用具も進歩し、雨具もゴアテックス等の軽くて、通気性の良い物が主流だが、この当時の物は分厚く、重く、通気性がなかった。リュックも横長から縦長に変わった。その他、いろいろ改良されて助かる。

 帰路、地獄谷を見学し、地獄谷温泉の小屋に宿泊。
  


  四日目

 翌日、快晴に恵まれ、奥大日岳に登り帰宅。



  1965 年7月27~8月1日

  鷲羽岳・三俣蓮華岳・双六岳・槍ヶ岳・奥穂高岳

    二日目

 夜行列車でMa氏と 当初は太郎平を経由して、薬師岳・黒部五郎・鷲羽岳・三俣蓮華岳・双六岳・槍ヶ岳と縦走し、上高地に下り帰る予定だった。しかし、前半、天気が悪かったので、薬師・黒部五郎を省き、雲の平を経由して鷲羽岳に行くことにした。
 太郎平までは、雨の中をもくもくと登り、薬師をあきらめ途中小屋へ。

    三日目

 ガスの中の雲の平を通り、三俣山荘へ。この頃より天気は回復し始める。
最後の急登を過ぎると三俣山荘。小屋に荷物を置いて,鷲羽岳の往復。

    
   四日目

 早朝、小屋を出て三俣蓮華岳に登り、双六岳を経由して槍ヶ岳へ。双六小屋からは二度目だが、今回は、天気もよく見晴らしも良いので疲れも少なく、槍の穂先を見ながら歩けて良かった。

 当時は、大学の山岳部の活動も活発で、双六岳付近で、ある大学の20人ほどの山岳部を追い越した。20~30Kgの荷物を持った後輩に、先輩が後輩に罵声を浴びせながら登る光景を見た。私も一度は憧れた山岳部。後輩に「がんばれ」と声援を送って追い越した。もう、彼らも古希に近い年齢になり、孫のいる好好爺になっていることでしょう。そして、中高年齢の登山者となって山を楽しんでいることでしょう。


   五日目

 早朝、天気も良いので、二度目の槍の穂先へ挑戦。四方の景色にうっとり。この頃、ダ-クダックスの「雪山賛歌」に人気が出、我々も口ずさむ。
下山後、天気がよいので、もう一度穂高岳に登りたくなる。横尾でMa氏と別れる。途中、石川県の人と行動を共にする。せせらぎで昼食を食べるが、疲れていたのか食欲が無く、半分ほど残す。雪渓を通り,涸沢に到着。 12時半。  予定より早く到着したので、穂高小屋までと思いザイテングラ-トを登った。これが悪かった。予想以上の急登で、途中よりへばりがきて、歩いては休み、歩いては休みの連続でだんだん休む時間の方が多い状態になった。昼の食事を食べなかったのがこたえる。粉末のジュ-スを水に溶かし飲む。美味い。予備食料がほしい。雪を食ってしまう。無理な行動であったことが今わかり、これが遭難につながると思った。 5時半やっと穂高小屋にたどりついた。この時の心境が山日記にも克明に書いている。反省.反省。


   六日目
hodaka_r.jpg
 奥穂高の頂上へ登った後、涸沢に下り上高地に下山し、帰る。                                         















                           
      

1966年8月7日

 福井での研修会の帰り、Mi氏と白山に登山.市ノ瀬で宿泊。早朝5時出発。
 別当出会を6時半出発した。



hakusan1_r.jpg
               
 室堂付近では、黒百合の群生があり、当時はやりの歌を思い出した。     登りは砂防新道を、下りは観光新道を使った。
 帰りは、夜行列車を使い、あくる日の会合に出席した。









hakusan_r.jpg
                             
  室堂付近で
     高山植物が咲き乱れていた

  後方は 最高峰御前峰

at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)登山  日本アルプス