2017年04月19日

私の足跡  201  中・下高野街道を歩く 5

私の足跡  201

    
 中・下高野街道を歩く 5

 
前回と同じく和泉山脈を越えるが、今回は高野口から槙尾道を通り、蔵王峠を越え、滝畑へ。そして天野道を通り、狭山から下高野街道に入り、ゴールの四天王寺までを3回に分けて歩きます。
    (この道は 昨年の大河ドラマ「真田丸」の後半、信繫一行が大阪城に入る時、見つからないようにいくつかに分散してして、越えたといわれている一つと言われている。この道は 他の道より通りやすく、距離も短いから女性や子どもたちが通ったのではないかと思われます。)                          


  
 高野口から滝畑へ。 3月 9日

  8時0分に 高野口駅に集合。

  初めは、平坦だが だんだんと傾斜が険しくなる。しかし車の通る道だからたいしたことはない。今回の道は ほとんど舗装されている。



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1時間少し歩くと、石仏群がある。

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この石仏群の中に 六面石幢と言われる石幢である。この六面石幢は六角柱の幢身に笠を載せた砂岩の単制のものである。

 幢身の各方面には高さ52.5cmの光背を彫り窪め、なかに像高38cmの地蔵菩薩立像を彫り残して浮き彫りにしています。光背の最深の部分で5.3cmを測り、洗練された精緻な作風は地方の石仏とは考えられず、専門の知識と技術をもった石工の作とみられます。

 幢身正面の左右両側には刻銘が残され、南北朝時代の北朝年号の貞和5年(1349)の年紀が読み取れ、六面石幢として比較的初期の作品として貴重です。また、六面石幢に六地蔵を刻したもので本例より古い資料は見当たらず、六地蔵六面石幢としては国内最古の例とみられ、非常に貴重な資料と言えます。
 平成24年に橋本市の有形文化材に指定された。



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 更に、一時間足らずで ふるさと体験村(山村体験交流促進センター)に到着。ここは、標高390mの山間にあります。
 和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれています。近くには県の指定文化財「神踊り」で知られる若宮八幡があります。(下の写真)

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  その後 アップダウンはすくないが 約一時間で蔵王権現に到着。昼食。
 かつらぎ町と大阪府河内長野市との境界、蔵王峠に鎮座している。
7世紀末、役小角が修験道の行場を開いたころといわれている。
主祭神は蔵王権現。昭和61年に村人の手によって境内の拡張整備、社務所の改築などが行なわれ、よそおいを一新した。4月18日には例大祭が行われる。



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 長い長い下り坂を下ると
光滝寺に到着。
 光滝寺(こうたきじ)光瀧寺とも書く。この寺
の近くに滝畑四十八滝のひとつである光滝という名前の滝があり、名前の由来となっている。

 飛鳥時代に欽明天皇の勅願によって行満が開いた寺とされる。江戸時代には葛城修験二十八宿の第十四宿(現在は、南葛城山の山頂近くの「鏡の宿」を第十四宿とするのが普通)であり、槙尾山施福寺(天台宗)の奥院でもあった。

 本尊は寄木造りの不動明王立像で平安末期のものである。また炭焼不動堂があり、この堂の不動明王像は空海の作と伝えられている。境内は河内長野市の名勝に指定されている。

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 昭和48年着工し、昭和57年に完成したコンクリートダムみどり豊かな自然に囲まれ、年中通じて楽しめる。
 
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 ダムに埋没の前に移築した古民家を利用して、博物館としている。

 帰りはバスで約1時間で河内長野に到着。



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2017年03月14日

私の足跡 200  中・下高野街道を歩く 4

私の足跡  200

    
 中・下高野街道を歩く 4

    
私のブログも200回を迎えることができました。これは、皆様のアクセスとコメントの励ましのお陰です。今後とも、よろしくお願いいたします。(途中、パソコンの調子が悪くなり、しばらく 休憩していたことをお詫び致します。)

        街道歩きを始めた当初は、街道(古道)歩きの目標を3000kmとしていたが、これをを越えたので 次の目標を街道(古道)歩き3500kmとしたが 先日これも越えたので 現在 街道(古道)歩き、4000kmを目標にして歩いています。


  
私の街道ウォーク(3500km)の足跡
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 橋本市周辺の道路で太線の部分は 複数回以上歩いた道路。中には10回以上もある。

  四国遍路は同行二人(一人遍路)(10回に分け) 私の足跡 43~53迄 

  小豆島遍路は半分は同行
二人  往は夜行を3回使い7日間

  東海道 と 中山道は仲間三人と (大河ドラマの放送の頃) 各 1年間
   私の足跡66~84  
私の足跡54~63  
 
 
  


  3000キロメートルとは どれだけの距離か
 
        直線距離では  日本列島の北端「宗谷岬」から鹿児島の佐多岬まで  1,888km
   車での距離では 日本列島の北端「宗谷岬」から鹿児島の佐多岬まで  2、960km                        
   鉄道での距離は
日本列島の北端「稚内駅」から鹿児島の西大山益まで 3,124km                         

   3500㎞ を一日に歩く距離を20㎞とすると175日歩いたことになる。一年間の半分を歩いたことになる。(自分では 何という人生を過ごしたのかな 思います)
         
                                                                
   今回は 中高野街道の最終回。 
 
12月15日 前回のゴール・JR平野駅を9時にスタートし、杭全神社から守口駅迄歩く。(この平野と守口間の街道は「放出街道とも言われている。) 


  先ず、杭全神社に参拝し、本日のウォークの無事を祈る。

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 杭全神社
 平安時代初期坂上田村麻呂の孫当道(とうどう)が素戔嗚尊を勧請して第一殿に平野郷の氏神として祀り、創建したと伝えられている古社です。
 鎌倉時代初めの建久元年(1190)には、熊野権現を勧請して第三殿に祀り、さらに後醍醐天皇の勅命で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を第二殿に祀った。3社殿とも、国の重要文化財です。


     
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巽神社

「社伝によれば、巽神社は応神天皇を奉り旧河内国渋川郡大地(おおぢ)村にあり、八幡(はちまん)神社といわれていました。創建年代は明らかではありません。

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 巽町役場跡の碑があった。
 
明治22(1889)年に町村制が施行されたとき、矢柄村・伊賀ヶ村・西足代村・四条村・大地村の5つの村が合併し、大阪城から見て、巽(東南)の方角に当たるところから「巽村」となった。昭和三十年四月大阪市に合併されるまで役場があった
 

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法明寺  
     文保2年(1318)融通大念仏宗中興の祖、法明上人の開基です。

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境内に「雁塚」と呼ばれる二基の石塔がある。

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  諏訪神社

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正因寺(鶴見区放出東1)前に建つ中高野街道の石柱と案内板

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 式内「高瀬神社」
「この神社は、延喜五年(905)から延長五年(927)にかけ作成された延喜式神名帳に記載されている由緒ある古社であります。祭神は天御中主命で、旧の世木・馬場村の氏神であります。天正年間(1573~92)に織田・三好の兵火で焼かれたものの、その後再建され」、江戸中期頃に建てられたのが現在の社殿であります。江戸時代には、神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれていました。


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 本日のゴール 京街道の「文禄堤」に到着。以前 京街道を歩いた時を思い出す。




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2017年02月01日

私の足跡 199  中・下高野街道を歩く 3

私の足跡  199

    
 中・下高野街道を歩く 3
  狭山駅からJR平野駅まで

  
狭山駅に8時半に集合。
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 街道筋に 菅生神社へ参拝する鳥居があり、近くに街道の道路標識がある。
 
    
正面「當社菅生天満宮」
      右面「すぐ平野総本山大阪天王寺、右藤井寺誉田八幡宮道明寺」
      左面「すぐ三日市高野山」
       (慶応二年)


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私たちは 菅生神社へ参拝することにした。 まず、記念の集合写真を撮る。
 
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  菅生神社の祭神  創建は奈良初期   延喜式神名帳に載る。歴史がある。
 主神は菅原道真公 明治四十年に合祀   

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 松原東小学校そばにある中高野街道の道標。「右平の大坂 左さやま 三日市 高野」寛政九年」とある。 隣に 天保五年の道標もある。

    
 松原駅を過ぎ、松原市役所の東隣の公園を借り、昼食。

 
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  阿保(あお)神社
 平安初期  平城天皇の皇子 阿保親王が親王池をつくったり、善政をしたので地元の人達が創建したとある。
 本殿 菅原道真公  右に阿保親王   左に弁天さん。


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 屯倉(みゆけ) 神社
 平安時代 942年 道真公祭神 。それ以前は 先祖の土師氏の祭神。
 
本殿 菅原道真公。南北朝の争乱や戦国期の畠山抗争のあおりで喪失、衰微していった。長い参道が往年の勢いを偲ばせる。


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  歩いていると 突然前方に堤防が現れ、道がなくなったようだ

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 堤防に上り、見てみるとここに橋があったのがわかる。
 今は、左の川下に立派な橋を造り、その橋を使っている。(以前 ここを通った時 川床に橋杭の一部が残っていたのを思い出す.)


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 街道歩きをしていて、一番うれしいのは 上の写真のような古道の雰囲気を醸し出している所を歩くことです。

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 平野豪の中に入れる出入り口・13口の一つ樋口地蔵。この平野豪の中に悪魔や病気が入らないようにお地蔵さんに見張ってもらっていた。
 話が変わるが、大阪冬の陣で真田信繁が徳川軍に向けて地雷を使ったがここの地蔵さんの首が吹っ飛んで行って失敗したらしい。

   
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上記の地蔵の首が飛んできたのはここ「全興寺」だと言われている。

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この寺には 弘法大師を祀っていたり・地獄の声が聴けたりとかいろんなものがあった

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 今回の最終見学地は、融通念仏宗の総本山「大念仏寺」。
 本尊 画像十一尊天得如来(国宝)   勿論 実物は見られない。
 現存の本堂は 1938年に建てる。 府内で最大の木造建造物。

    
JR 平野駅を4時に解散。



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