2017年05月23日

私の足跡  202  中・下高野街道を歩く 6


私の足跡
  202

    
 中・下高野街道を歩く 6
 
今回は、天野山 金剛寺をスタートすることにする。
  今、金剛寺は、話題になっている。それは、
元禄時代の修理から300年間、大規模な修理は行われていませんでしたが、平成21年度より約9年間、総額約165千万円の費用で解体修理をしています。。また、金堂に安置されていますご本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)不動明王坐像、の三躯(さんたい)の仏像も修理することになりました。(私達がお参りしていた頃に 国宝に指定さけました)
  桜で有名なこともあり、4月7日にスタート。(下見に行った時に 係りの人に そのころは 桜も見ごろだし、工事も終わりかけているとの話があった。)

 桜は見頃で 参加者に喜んでもらったがまだ工事中で その音がひどくて困った。

 この金剛寺は 平安時代より女人高野であること や 南北朝時代のある時期に南朝の後村上天皇の行宮であったりとかで有名な寺である。


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 桜と寺院建築の風景を楽しん後、出発。


 今度は この
天野山 金剛寺への参詣道として、賑わった道・天野街道を歩くことにする。

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 楼門を
ると 小川と白壁にまれて小道を進む。

 のんびりとした集落の中を進む。

 

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 集落を過ぎると 周りが田畑が広がり、遠くの山がくっきりと見える。

 南には 1回目に越えた岩湧山と5回目に越えた蔵王峠が見え、その時のことが話題となる。 
 東には 水越峠を挟んで金剛山と葛城山。そして更に北を見ると双耳峰の二上山がくっきりと。

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1時間少しで 穴地蔵に到着。子宝に恵まれるというお地蔵さん。
地元の人達や遠方の方々に大切にされているようでお花やお供え物が沢山ある。
この付近 堺・河内長野・大阪狭山市の市境である。

ここからは 河内長野市とも別れ、堺市と大阪狭山市の市境(河内と和泉の国境)に設けられて天野道を更に北上をする。 

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道は 上記のように尾根に沿って造られ、今熊から大野西までの区間は遊歩道「あまの街道」として整備されており、散歩やジョギング・ハイキングにも人気のコース。
 国交省の「手づくりの郷土賞」・「大阪の道99選」にも選ばれている。

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サイクリングコースにもなり、時々自転車も通る。

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ベンチは所々にあり、また東屋が2か所あり、整備も行き届いて歩く人には最高である。

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道の両側には コナラの木がびっしり植栽 されている。


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最後は 西高野街道に合流し しばらく西高野街道を歩く。

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西高野街道を分かれてしばらく歩くと狭山池に到着。この狭山池は、人造湖としては日本最古といわれ、古事記や日本書紀にも記載され、昨年築後1400年祭りが行われた。

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狭山池公園に到着すると小彼岸桜が満開で私たちも楽しむことができた。

そして、池の堰堤にある「狭山池博物館」に到着。


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  平成13年(2001)、大阪狭山市にオープンした狭山池博物館です。
 斬新な建物のデザインは、日本の代表的建築家・安藤忠雄氏の設計によるものです。


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そんな狭山池の改修工法や堤の実物などを時代ごとに7つの展示ゾーンへ分けて保存・展示しながら、日本の土木と治水の歴史の紹介を行っている


 見学後、次回の出発地「北野田駅」へ。




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2017年04月19日

私の足跡  201  中・下高野街道を歩く 5

私の足跡  201

    
 中・下高野街道を歩く 5

 
前回と同じく和泉山脈を越えるが、今回は高野口から槙尾道を通り、蔵王峠を越え、滝畑へ。そして天野道を通り、狭山から下高野街道に入り、ゴールの四天王寺までを3回に分けて歩きます。
    (この道は 昨年の大河ドラマ「真田丸」の後半、信繫一行が大阪城に入る時、見つからないようにいくつかに分散してして、越えたといわれている一つと言われている。この道は 他の道より通りやすく、距離も短いから女性や子どもたちが通ったのではないかと思われます。)                          


  
 高野口から滝畑へ。 3月 9日

  8時0分に 高野口駅に集合。

  初めは、平坦だが だんだんと傾斜が険しくなる。しかし車の通る道だからたいしたことはない。今回の道は ほとんど舗装されている。



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1時間少し歩くと、石仏群がある。

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この石仏群の中に 六面石幢と言われる石幢である。この六面石幢は六角柱の幢身に笠を載せた砂岩の単制のものである。

 幢身の各方面には高さ52.5cmの光背を彫り窪め、なかに像高38cmの地蔵菩薩立像を彫り残して浮き彫りにしています。光背の最深の部分で5.3cmを測り、洗練された精緻な作風は地方の石仏とは考えられず、専門の知識と技術をもった石工の作とみられます。

 幢身正面の左右両側には刻銘が残され、南北朝時代の北朝年号の貞和5年(1349)の年紀が読み取れ、六面石幢として比較的初期の作品として貴重です。また、六面石幢に六地蔵を刻したもので本例より古い資料は見当たらず、六地蔵六面石幢としては国内最古の例とみられ、非常に貴重な資料と言えます。
 平成24年に橋本市の有形文化材に指定された。



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 更に、一時間足らずで ふるさと体験村(山村体験交流促進センター)に到着。ここは、標高390mの山間にあります。
 和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれています。近くには県の指定文化財「神踊り」で知られる若宮八幡があります。(下の写真)

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  その後 アップダウンはすくないが 約一時間で蔵王権現に到着。昼食。
 かつらぎ町と大阪府河内長野市との境界、蔵王峠に鎮座している。
7世紀末、役小角が修験道の行場を開いたころといわれている。
主祭神は蔵王権現。昭和61年に村人の手によって境内の拡張整備、社務所の改築などが行なわれ、よそおいを一新した。4月18日には例大祭が行われる。



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 長い長い下り坂を下ると
光滝寺に到着。
 光滝寺(こうたきじ)光瀧寺とも書く。この寺
の近くに滝畑四十八滝のひとつである光滝という名前の滝があり、名前の由来となっている。

 飛鳥時代に欽明天皇の勅願によって行満が開いた寺とされる。江戸時代には葛城修験二十八宿の第十四宿(現在は、南葛城山の山頂近くの「鏡の宿」を第十四宿とするのが普通)であり、槙尾山施福寺(天台宗)の奥院でもあった。

 本尊は寄木造りの不動明王立像で平安末期のものである。また炭焼不動堂があり、この堂の不動明王像は空海の作と伝えられている。境内は河内長野市の名勝に指定されている。

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 昭和48年着工し、昭和57年に完成したコンクリートダムみどり豊かな自然に囲まれ、年中通じて楽しめる。
 
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 ダムに埋没の前に移築した古民家を利用して、博物館としている。

 帰りはバスで約1時間で河内長野に到着。



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2017年03月14日

私の足跡 200  中・下高野街道を歩く 4

私の足跡  200

    
 中・下高野街道を歩く 4

    
私のブログも200回を迎えることができました。これは、皆様のアクセスとコメントの励ましのお陰です。今後とも、よろしくお願いいたします。(途中、パソコンの調子が悪くなり、しばらく 休憩していたことをお詫び致します。)

        街道歩きを始めた当初は、街道(古道)歩きの目標を3000kmとしていたが、これをを越えたので 次の目標を街道(古道)歩き3500kmとしたが 先日これも越えたので 現在 街道(古道)歩き、4000kmを目標にして歩いています。


  
私の街道ウォーク(3500km)の足跡
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 橋本市周辺の道路で太線の部分は 複数回以上歩いた道路。中には10回以上もある。

  四国遍路は同行二人(一人遍路)(10回に分け) 私の足跡 43~53迄 

  小豆島遍路は半分は同行
二人  往は夜行を3回使い7日間

  東海道 と 中山道は仲間三人と (大河ドラマの放送の頃) 各 1年間
   私の足跡66~84  
私の足跡54~63  
 
 
  


  3000キロメートルとは どれだけの距離か
 
        直線距離では  日本列島の北端「宗谷岬」から鹿児島の佐多岬まで  1,888km
   車での距離では 日本列島の北端「宗谷岬」から鹿児島の佐多岬まで  2、960km                        
   鉄道での距離は
日本列島の北端「稚内駅」から鹿児島の西大山益まで 3,124km                         

   3500㎞ を一日に歩く距離を20㎞とすると175日歩いたことになる。一年間の半分を歩いたことになる。(自分では 何という人生を過ごしたのかな 思います)
         
                                                                
   今回は 中高野街道の最終回。 
 
12月15日 前回のゴール・JR平野駅を9時にスタートし、杭全神社から守口駅迄歩く。(この平野と守口間の街道は「放出街道とも言われている。) 


  先ず、杭全神社に参拝し、本日のウォークの無事を祈る。

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 杭全神社
 平安時代初期坂上田村麻呂の孫当道(とうどう)が素戔嗚尊を勧請して第一殿に平野郷の氏神として祀り、創建したと伝えられている古社です。
 鎌倉時代初めの建久元年(1190)には、熊野権現を勧請して第三殿に祀り、さらに後醍醐天皇の勅命で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を第二殿に祀った。3社殿とも、国の重要文化財です。


     
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巽神社

「社伝によれば、巽神社は応神天皇を奉り旧河内国渋川郡大地(おおぢ)村にあり、八幡(はちまん)神社といわれていました。創建年代は明らかではありません。

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 巽町役場跡の碑があった。
 
明治22(1889)年に町村制が施行されたとき、矢柄村・伊賀ヶ村・西足代村・四条村・大地村の5つの村が合併し、大阪城から見て、巽(東南)の方角に当たるところから「巽村」となった。昭和三十年四月大阪市に合併されるまで役場があった
 

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法明寺  
     文保2年(1318)融通大念仏宗中興の祖、法明上人の開基です。

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境内に「雁塚」と呼ばれる二基の石塔がある。

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  諏訪神社

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正因寺(鶴見区放出東1)前に建つ中高野街道の石柱と案内板

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 式内「高瀬神社」
「この神社は、延喜五年(905)から延長五年(927)にかけ作成された延喜式神名帳に記載されている由緒ある古社であります。祭神は天御中主命で、旧の世木・馬場村の氏神であります。天正年間(1573~92)に織田・三好の兵火で焼かれたものの、その後再建され」、江戸中期頃に建てられたのが現在の社殿であります。江戸時代には、神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれていました。


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 本日のゴール 京街道の「文禄堤」に到着。以前 京街道を歩いた時を思い出す。




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